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全国医師連盟に期待する

                    虎の門病院 泌尿器科 小松秀樹
                            2008年1月13日


全国医師連盟には歴史の中で役割を果たされることを期待しています。

 ご承知のように日本の医療は崩壊の危機に瀕しています。 1980年代半ば以後、日本では徹底した医療費抑制政策が実施されてきました。これに加えて、1999年以後、医療安全要求が高まりました。医療はそもそも危険なものであり、思い通りの結果がえられるものではありません。メディアが医療不信を煽ったこともあり、リスクの高い医療の現場で軋轢が高まりました。 一部で勤務医の労働環境が限界に達し、脆弱な部分から医療が崩壊し始めました。

 救急、産科は危機に瀕しています。内科外科など基幹診療科もあやうくなっています。また、より直接民主制に近い地方自治体の病院では、住民の苦情が、たとえ不適切なものであっても、議員から病院に直接もちこまれます。なにかのきっかけで、我慢の限界を超えた医師が辞めても、為政者、労働基準法が医師を守らないので、残った医師に負担がかかります。大量辞職が発生して短期間で病院が崩壊するような、かつてはありえなかった事件が稀ではなくなりました。

 医療崩壊のリスク要因です。  医療費抑制、社会思潮、マスメディア、厚労省、司法、勤務医の労働環境、医事紛争の公平な処理システムの欠如、医療の質向上の努力不足などが挙げられます。

  どのような対応が考えられるでしょうか。  医療費抑制についてですが、日本では国民の負担に比べて、サービス要求が高すぎることは間違いありません。現実的には、増税あるいは社会保険料の増額が必要だと思います。現実を見据えることをもっとアピールする必要があります。現実を動かすには、行政よりも選挙が重要です。社会思潮を適切なものにするには思想運動が必要です。教育分野などとの共闘もありえます。メディアに対しては、模倣できる言説を提示する、毛嫌いせずに議論する、問題報道には個別にメールを送る、などの対応ができます。厚労省の置かれた状況と能力は絶望的です。陳情せずに、政治から圧力をかけざるをえません。政策の基本理念を立案させるべきではありません。役割を小さくしなければなりません。司法については、「とんでも判決」を批判するシステムを構築する必要があります。勤務医の労働環境を改善するには、勤務医の利害を代弁する団体が必要です。医事紛争を解決するために、医療事故調査制度、無過失補償なども必要ですが、諸刃の剣でリスクを伴います。医療の質向上を責務とする専門職団体も必要です。

 今後必要とされる医師の団体は2種類あります。 一つは勤務医団体で、勤務医の利害を代弁します。特に医師の労働環境改善が喫緊の課題です。労働基準法を武器に順法闘争をしなければなりません。勤務医団体ができてはじめて開業医と勤務医の共闘が可能になります。

 もう一つは医療の質を高めることだけを責務とする気位の高い専門職団体です。卒前、卒後教育の監査と自律的処分を担当します。これは、開業医、勤務医が対等になってはじめて成立可能になります。

 新しい医師の団体が必要な理由は日本医師会にあります。 日本医師会は発言権を強めるために勤務医の加入を推進してきました。しかし、開業医の利害を代弁し、勤務医の利害には一貫して冷淡でした。昨年7月の日本消化器外科学会で鈴木常任理事は「勤務医の問題に取り組んでこなかった。これから変わる」と発言しました。しかし、11月1日、死因究明制度の厚労省の第二次試案に賛成しました。これは現場の勤務医への裏切り行為です。  勤務医が投票権のない第二身分に据え置かれる限り、人間に備わった性質上、勤務医と日本医師会の真の協調はありません。理不尽なルールは日本医師会から正当性を奪い、開業医の利益を損ねます。

 今日ご参集された皆様のような、時代の状況に関わろうとする勇気ある医師の基本態度はどのようなものか。  まず歴史です。歴史の大きな流れの中で現在を考える必要があります。変化は継続するので、個々の局面で一喜一憂しないことも重要です。

 次に思想。意識するしないに関わらず、我々は思想の上に生きています。思想に正面から取り組んで現在の状況を考える必要があります。

 次にリアリズムです。人間のいやな側面を正視する必要があります。メディアや政党のそれぞれの利害に沿った甘い言葉を、突き放してみる必要があります。

 社会活動は正当性の取り合いです。常に、正当性の存否を考慮しなければなりません。これは日本医師会に欠落しているところです。

 ただし、正当性だけでは勝てません。勢、勢いが必要です。これは韓非子の政治哲学の基本概念で政治理念を実現させる体制、状態、動きを意味します。権勢、大勢、趨勢、時勢、情勢などの勢です。

 目標を定め、戦略を立てます。個々の局面での戦術も熟慮しなければなりません。

  第二次試案問題には日本の医療問題が凝縮しています。 第二次試案の最大の問題点は理念部分です。「安全・安心」という言葉が使われています。安全という一つの状態は医療にはありません。安全はリスクと同義で変数に過ぎません。また、安心は個人の心の問題であり、医療が提供できるものではありません。中西準子氏は、「安心は生きている間にはなかなか得られない。得られるとすれば個人が自己との戦いの末、ある種の欲求を捨てることと引き換えに得られるもののような気がする。」と説明されています。「安全・安心な医療」はどのような医療なのか、客観的な定義は不可能です。同様に「納得」も主観的な言葉です。第二次試案の前提に、このような患者側の主観的な願望の実現を、医療側の責任としているところがあります。

予期しない死亡が発生した場合に、遺族の願いは、反省・謝罪、責任の追及、再発防止であり、これらすべての基礎になるものが、原因究明であるとしています。

「遺族の願い」は1997年に加藤良夫弁護士が作られた冊子にある「医療事故被害者の願い」に由来するものと思われます。被害者の願いは1)原状回復 2)真相究明 3)反省謝罪 4)再発防止 5)損害賠償の5項目です。原状回復という無理なことが含まれていることからも分かるように、そもそも患者側の感情を前面に押し出した戦いのための文章で、現実の問題を論理的に扱うためのものではありません。加藤氏は、医療事故が起きた場合、医療提供者に謝罪を求めます。医師が謝罪しないことが被害者の気持ちを傷つけるといいます。正直に謝れば罪を追及しないといいます。加藤氏は謝る必要のない場合について言及していません。私は、不幸な結果があった場合、残念な結果に終わったことについての遺憾の意の表明をする必要があると思うし、ミスがあれば、正直に話して謝罪すべきだと思います。実際に、我々の病院の調査委員会では、そのようにしています。しかし、あらゆる事故で謝罪せよとなると、医師は例外なく罪びとになります。謝れば許してやるということになると、あまりに医師の立場が弱くなり、リスクの高い医療を継続していくことが困難になります。「医療事故被害者の願い」の根底には、医療における有害事象は発生してはならないものであり、発生したとすれば、医療側の努力不足の結果であり、その責任は医療側にあるという思い込みがあるように思われます。 遺族の願いを原因究明の前提とするには無理があります。

第二次試案の理念全体として、医療が不確実であるという事実に矛盾するところがあります。

  第二次試案、組織と運営の問題点です。 1)委員会は、医療従事者、法律関係者、遺族の立場を代表する者によって構成される。

 感情とは一切かかわりをもたない医療従事者の科学的認識、法律関係者の法に基づきはするが被害者感情の影響を受けることを是とする法的認識、「遺族の立場を代表する者」の感情に基盤をおく認識、三者は認識の基盤が異なります。厳しい対立が生じた場合、あるいは、報道や政治の影響が強い場合、これら三者が納得して一つの報告書に到達できるとする前提には無理があります。

 2)医療関連死の届出を義務化して、怠った場合には何らかのペナルティを科す。 3)行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、調査報告書を活用できることとする。

4)行政処分は、委員会の調査報告書を活用し、医道審議会等の既存の仕組みに基づいて行う

 全体として責任追及が大きな目的になっています。 2003年ごろを境に、大病院には院内事故調査委員会が置かれるようになりました。多くの病院で、医療事故をシステムの問題として捉え、ヒューマンエラーを処罰の対象としていません。改革は進行中であるものの、医療事故について病院は患者側に極めて正直に話すようになりました。第二次試案はこのような院内事故調査委員会における調査・評価を重視しています。当然、院内の調査結果が調査報告書に取り入れられます。となれば、院内事故調査委員会での議論が、個人の処罰に直結することになります。証言は極めて慎重なものにならざるをえません。日本国憲法38条には「何人も自己に不利益な供述を強要されない」と書かれています。必然的に事実が表に出にくくなります。現在、一般的に行われるようになってきた患者への正直な説明に支障をきたします。 第二次試案が実現すると、院内調査委員会で率直な議論が行えなくなります。事故調査と個人の処分の連動は、世界の常識はずれです。

 第二次試案をめぐる事実経過です。 昨年10月17日、死因究明制度の検討会で噛み合わない議論が続いている中、突然、厚労省が独自に第二次試案を発表しました。その15日後、自民党の部会でヒアリングがありました。診療関連死調査分析モデル事業、日本医師会、日本病院団体協議会がよばれ、意見の表明を迫られました。検討会では、意見は集約されていなかったのですが、ヒアリングでは三者とも第二次試案に賛同を表明しました。その翌日、日本内科学会、日本外科学会が賛同を表明しました。 短期間に政策決定プロセスの儀式が進められました。

現場の医師の多くはこの経過を知らされていませんでした。

自民党は、大半の医師が第二次試案に賛成していると理解してしまいました。

 第二次試案が実現するとどうなるでしょうか。 厚労省が強大な権限を持ちます。従来の医療費決定に関わる権限に加えて、調査権と処分権を持つことになります。行政、司法、被害者代表が医療システム内に入って網羅的に責任が追及されます。脅えながらの医療になります。医療をめぐる対立が助長されます。責任追及を前提にした調査は、科学的調査と異なり、遺族と医師の対立を高めることになります。裁判手続と同様、調査経過そのものが、遺族の応報感情を高めます。対立は遺族と医師の間にとどまりません。病院の管理者と現場の医療従事者の間にも疑心暗鬼が生まれます。さらに、厚労省と医療提供者の溝を深め、行政そのものに支障を来たしかねません。

医療システムの自律性が破壊されます。全体主義国家では医療の進歩は止まりました。社会システムは内向きのシステムとして機能します。例えば、自民党総務会で市民団体、社民党、共産党関係者が多数を占めると自民党は成立しません。この制度は医療崩壊を加速させます。

内部の統制は内部で、外部からの統制は外部から行うべきです。

 厚労省は責任を担えるでしょうか。厚労省はメディア、政治からの攻撃を受け続けてきました。政府の抱える深刻な紛争の大半は厚労省に集中しています。厚労省は原則として政治の支配を受けます。一方的にたたかれても、ひたすら耐えなければなりません。相手の論理を、その当否にかかわらず、受け入れざるを得なくなることがあります。ときに、身内を切り、現場に無理な要求をしてきました。結果として良心的な官僚は疲弊し、立ち去り型サボタージュが起きています。 判断の自律性が担保できず、感情論に流されます。

しかも、官僚には常に権限と組織の拡大を図る性癖があります。

厚労省に大きな権限を与えることは極めて危険です。

 厚労省は信頼できるのでしょうか。医師法21条問題を振り返ります。 そもそも1949年医務局長通知で「死亡診断書は診療中の患者が死亡した場合に交付されるもの」であり、「死体検案書は、診療中の患者以外のものが死亡した場合にその死体を検案して交付されるもの」として、診療関連死は医師法21条の届出対象ではないと判断していました。 1994年の法医学会のガイドラインは一団体の主張に過ぎず、実質的に司法に影響はありませんでした。 1999年の都立広尾病院事件とその報道を受けて、2000年国立病院部政策医療課が作成したリスクマネージメントマニュアル作成指針で解釈を変更しました。 「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と明記しました。これが最高裁での判決につながりました。警察・検察によると、警察への届出の増加が、刑事訴追の増加につながっているとのことです。

現在の医師法21条問題の発端は、報道に過剰反応した行政官の判断に起因しています。  第二次試案問題は現代の問題が凝縮されているだけに、大きなチャンスでもあります。 日本の医療政策は、厚労省の方針を日本医師会、学会、病院団体の幹部が賛同して決定されてきました。馴れ合いといわれても仕方がないところがあります。

第二次試案問題で、厚労省の判断に、歴史的視点と哲学が欠如していること、省益が影響していることが露呈しました。厚労省に、医療に関して、高度な判断を任せるのは無理だということです。現場の医師に自律の覚悟を促す必要があります。

 第二次試案問題で我々は勝てると予想しています。なぜか。第一に、我々は正当性を取れます。第二次試案自体、あまりに杜撰です。第二に我々は勢を形成できます。厚労省は、日本医師会、学会、病院団体を巻き込んで自民党の部会でできの悪い芝居を演じてしまいました。卑劣であると自分から宣伝したようなものです。対案を成立させることができれば、医療政策決定方式を変革できます。

 

 全国医師連盟への私の期待です。

運動体としては、第二次試案を廃案にすること、それだけでなく、対案を成立させましょう。そうなれば勢いが生まれます。勤務医団体結成への道筋ができるかもしれません。全国医師連盟の開業医のメンバーには日本医師会の改革に取り組んでいただきたい。ただし、運動体は動いていないと倒れる可能性があります。

 私はシンクタンクとしての活動も本気で考えていただきたいと思っています。医療政策の決定方式が変われば、シンクタンクが重要になります。情報収集、情報発信、政策提言を持続的にやっていただきたい。当面は得意分野を持つことが重要です。全国医師連盟の方針として出されている勤務医の労働組合は、労働法の専門家や成功した労働団体に相談しながら、慌てずにじっくり取り組んでいただきたいと思います。三重大学の木田博隆先生たちが取り組んでおられる自律的処分制度の研究も大きなテーマの一つです。

 全国医師連盟には、将来、2008年1月13日、本日が医療再生の起点だったと振り返ることができるよう、歴史的役割を果たしていただきたいと願っています。